50代の考察

【リーマンショック体験談】ロシア駐在で体験した人生で最もエグかった18か月

どうも SymSym@49歳卒サラ準備中 です。

私は、2022年3月末に サイドFIREを計画しています。

この記事は、
FIREの話から 少し それますが、

2008年リーマンショックのとき
私がロシアで経験したこと

について書いています。

この記事は、

【この記事の対象】

  • 海外駐在に興味がある人
  • 現在 海外駐在中で 仕事の難しさを感じてる人

特に、20代/30代の方に向けて
書いています。

あくまでも一個人の体験ですが、
この記事を読むことで

【この記事を読んでわかること】

  • ビジネス最前線で 未曾有の経済危機が起きるとどうなるか
  • 海外駐在員が想定しておくべき非常事態の対応

あたりのイメージを
お伝えできればいいなと思っています。

最後まで読んでいただけるとうれしいです。

2008年リーマンショック前夜のロシア市場

まず、2008年当時、
私が駐在していたロシアの状況を
簡単に整理します。

2000年にプーチン大統領が誕生。

それ以来、
ロシアの経済成長は著しく、
好景気は実に7.5年間継続。

BRICSと呼ばれた
新興国ブームの始まりが2003年。

当時、
特にパワフルに成長していた
4か国の頭文字から
BRICSと名付けられました。

ロシアはそのBRICSの一角を担っていました。

まさにリーマンショック前夜の2008年夏
ロシアはイケイケの景気絶頂期

あらゆるものが
ブラックホールに吸い込まれるかのように
飛ぶように売れていくような状態でした。

SymSym
SymSym
25年海外営業一筋でやってきた私にとっても、当時のロシア以上に 購買意欲の高い市場を
見たことがありません。

私は、そのとき、
ロシアで 自動車(完成車)の卸営業をやっていました。

  • 売れに売れまくる商品のデリバリーをいかに滞りなくまわすか。
  • 在庫ショートや物流手違いなどで販売機会損失をしないか。

というところが仕事のトッププライオリティ。

それに加えて、
宣伝/広告費もふんだんに使って
売りまくっていました。

リーマンショックは
そんな経済バブルの絶頂
アクセル全開の中での「クラッシュ」

でした。

リーマンショック後、ロシア経済凋落

「高速道路をアクセル全開で走っているときにクラッシュした」

それが 当時の私の印象。

リーマンブラザーズは
ご存知の通り、アメリカの証券会社であり、
この経済危機の震源地はあくまでもアメリカ。

ただ、
その影響は世界を巻き込み、
中でも最もダメージを受けた国の一つが
ロシアだったと確信しています。

その理由は「ロシアが天然資源価格依存型」の経済構造だったから。

順番に説明すると、

リーマンショック前
ロシアの景気拡大を支えてきた原動力は
「原油高」

原油高により
「海外から所得移転があり内需拡大」
+
「力強いルーブル高で消費ブチ上げ」

さらにロシア企業が原油高を背景に
海外から巨額の資金を調達、事業に投入

このロシア経済絶頂期に
リーマンショックが発生=クラッシュ

ロシアからの急激かつ大規模な資本逃避

さらに原油価格急落は
貿易黒字縮小+ルーブル安急進をもたらし

個人消費 落ち込み、経済停滞

資金難に陥り危機的状況に直面

という感じ。

数字で見てみると、

こんな感じ。

グラフ左上、
原油価格がピーク時から「-67%」。

右上、
為替が「-53%」。

左下、
株式市場が「-80%」。

原油価格/株式市場の急落、これと同じ事象が 2020年コロナショックの時も起きてましたね。

まさに

ロシア経済は 原油価格の急落で
「最悪のスパイラル」

で落ちていきました。

SymSym
SymSym
ここまではマクロのお話。

リーマンショック後 ボクが経験したこと

SymSym
SymSym
続いてミクロのお話。

私が経験したことについて書きます。

一言でいうと

27か月分の在庫が溜まり
キャッシュフロー(F/C)がショート

という経験をしました。

これも順番に説明します。

リーマンショックが起き
市場から資本逃避が発生、個人消費が縮小。

自動車市場は
2009年4月以降 前年比-40%台に減少
まさに目の前から市場が消えたような状態

リーマンショック前に
工場に発注していた商品が
年が明けて 2009年に入ってから到着

在庫が急激に膨らむ

売上げが立たず、
在庫保管料が膨らみ
あっさりキャッシュがショート

こんな感じ。

市場急拡大を見越して、
完全にアクセルを踏み込み工場発注をかけていました。

自動車は売れないのに、
日本からの新車が次々到着し、
在庫が積み上がっていく状態。

当時は、在庫の置き場所もなくなり、
新しい保管場所を次々に契約して在庫管理。

最後は、船に積んだまま海上に数週間滞留させていました。

リーマンショックの時は、
消費者動向に影響が出るまで少し時間が掛かりました。

具体的には、
9月リーマンブラーズ破綻の3か月後 2008年12月に、
ロシア市場は 過去最高の月販台数を記録します。

この事象の背景は、

  • 消費者がロシアルーブルの下落を懸念して
  • 手元のルーブルを価値ある耐久消費財に変えて
  • 資産を担保する

という動きが起きたため。

当時、
ロシアにおいて輸入車(ドイツ製/日本製)は
まさに「価値ある耐久消費財」
価値が落ちないもの、
という位置づけでした。

したがい、
12月に ドイツ勢/日本勢の販売が伸び、
市場は 最後の燃え上がりを見せました。

翌2009年1月の自動車市場は、
前月比‐75%に減少しています。

この販売落ち込みの微妙な時差が、
我々の初動の対応遅れにつながったと思っています。

因みに、
ロシア自動車市場の急激な減少は↓のグラフの通り。

リーマンショック前の急拡大も相当なもので、
そこからの急落は、
まさにジェットコースター状態。

現場の人間としては、
急拡大について行くのも 相当苦労していたんですが、
リーマン後の急落時は比較にならないほどの“苦労”でした。

まず、

膨れ上がった在庫は
最大 瞬間風速で 27か月分

実に自動車の在庫が3年分。

私が 当時 毎日ように見ていた悪夢は、

在庫管理のExcelシートが無限に続き
自分の身体に巻き付いてきて締め付ける

というマンガのよう夢。

連日 真夜中まで敗戦処理の業務が続き、
帰宅は早くて12時、遅いときは深夜3時。

それからベッドに入るものの、
熟睡はできず、数時間後にまた出社。

しだいに体調に異変が生じ、
常に頭痛に悩まされるようになりました。

私は今 毎朝 高血圧の薬を飲んでいるのですが、
それは モスクワ時代の頭痛から始まったものです。

その後、私がいた現地法人は
本社に増資を依頼することになります。

そうして、
リーマンショックから 帰任までの18か月間、
真夜中までの残業が当たり前のように続きました。

リーマンショック前に
12人いた日本人駐在は7人に減りました。

任期途中で帰任になることは辛いことですが、
リーマンショックの嵐の中に残されるのも辛い。

「帰るも地獄、残るも地獄」

それでも、
当時の自分は「帰りたい」というのが本音でした。

残った7人には
数えきれない苦労話があるのですが、
機密に関することなので ここでは書けませんね(笑)。

一つ、忘れられない思い出があります。

リーマンショック前、
絶好調だったロシアビジネスを
応援してくれていた社内の人たちが、
リーマン後になって
急にロシアバッシングを始めました。

当時30代半ばだった私は

「ほー、人ってこんなものかー」

「手のひらを返すとはこういうことかー」

とすごく冷静に感じたのを覚えています。

新たな経済危機の可能性に備えて

2020年3月半ば、
コロナ感染拡大に端を発する株価急落を受けて

リーマンショックの再来か

と叫ばるコロナショックが起きました。

煽り系のインフルエンサーもいましたよね。

  • 原油価格の急落
  • 株価急落

に加えて、
「ドイツ銀行破綻」なんていうデマも流れており、
どうしてもリーマンショックと重ね合わせたい人が
多かったと思います。

でも、実際、共通点が多いのも事実。

あの最悪の18か月の経験から、
コロナショックのときに私が取った対応は、

  • 足元の来店数/成約数のデイリートレンド分析
  • 卸売り側の在庫、販売店側の在庫のデイリーウォッチ
  • どこまで生産オーダーにストップ掛けられるかの確認/本社への打診
  • 当面の販売施策/イベントの見直し
  • 足元は売れる限り売りまくる

あたり。

当時、私がローカルスタッフに出した指示は

とにかく
可能な限り在庫を薄く持つ

ということ。

まとめ

2021年5月現在、
今後、コロナによる経済影響がどうなるか、
まだ わかりません。

ただ、

できる準備をして
素早く行動する

というのが、
25年サラリーマンやってて、
14年以上海外駐在してる私の覚悟です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
なにかの参考になれば幸いです。

~おしまい

【海外駐在歴14年目】サラリーマンやるなら海外駐在がおすすめ ~お金・時間・ビジネススキル~どうも SymSym@49歳卒サラ準備中 です。 私は、2022年3月末に サイドFIREを計画していますが、 いま現在は 海外...